最近は、エッセイばかり読んでいる。
ブログを始めてせっかく書くのであれば誰かにとっても価値があるくらいには書けるようになっていきたいと思った。それで本屋や図書館で文章の書き方に関しての本を流し読みしてみたが、なんだか違うかなと思って。
そういったハウツー本を読むことである程度わかりやすい文章は書けるようになるだろうが、誰かにとって価値のある文章、自分が読んでも面白い文章となると「文章の書き方」の中には、多分収まっていない。
ということで、すこし遠回りになるかもしれないけれど、今は沢山の人のエッセイを読み漁っている。
面白いエッセイは、面白い人が書く
そして、沢山のエッセイを読んでわかったことがいくつかある。
そのエッセイが面白いか面白くないかの最大のポイントは、つきなみな結論だけど、書く人自身が面白い人かどうかだと思う。
文章の展開の仕方でより面白おかしく表現することはできるだろうが、そもそもの物事に対する着眼点や解釈の仕方、実際に起こった出来事の突飛さなどのほうが文章の工夫による面白さを大きく上回る。
面白くないことを、面白い文章に書き換えることができれば、それはそれとしてとても良いのだが、自分自身がそこまで行き着けるかどうかがわからない。
そして、仮に行き着けるものだとしても、それは、もっと沢山の文章に触れて書いてやっと行き着く先のことではないだろうか。そんなふうに文章の上達を待っていたら、そのホカホカのおもしろい経験が曖昧に、無駄な着色をもっていってしまう。
小説家の処女作がとても面白いものであることが多いのは、文章が完璧だからじゃなくて、やっぱりその人が面白いから。
まあ、じゃあ面白い人間になりましょう!と意気込んだところで、何から始めればいいのかわからないのが問題であるが・・・。ひとまず、それが面白いかどうかにかからず、自分自身が見える世界をもっと鮮明に、詳細に言葉にできるようになりたいなとは思った。
思ったことを書いても良い
エッセイを書いている人達は本当に自分の考えていること感じていることを真摯に言葉にしているなんと感じた。
僕は、こう言ったらこう返されるから、こういう表現にして、でもそこまで考えて表現したとしても 「〇〇はだめだ」みたいな考えがあるから、やっぱりこのことについては書くのをやめよう。みたいなことを繰り返すことが多かった。
それが、たくさんのエッセイを読む中でそんなことはしなくてもいいやと思えるようになった。
ちょっとスピリチュアルみたいなこと、ちょっと無責任なこと、ちょっと過激なこと。ちょっと伝わらない人が多そうなこと。そういったものも、自分自身が思ってしまったのであれば、それはそれとして表現してもいい。
受け入れられなかったところで、何の問題もないし、仮に突っかかられたととしても、そのほとんどが、相手自身が自分ルールでそのことについては言わないようにしているから、お前も言うなということでしかないだろう。
まあ、あまり人の意見を気にせずに、しっかり自分に真摯に向き合って言葉にして行きたいと思う。
なお、おすすめのエッセイについては都度ご紹介していきますのでお楽しみに!
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