【本日のか】ゴッホ展に行きました。ー太陽に救われて、美術の価値をしりましたー

今日、上野の東京都美術でやっているゴッホ展に行ってきた。

これで2度目。同じ展示を2度観た。

初めてゴッホの絵の原画を観たときに感じた、自分の中のなにか足りないものが補完されていく感覚、生きるチカラの根本を底上げしてもらった感覚を理解したくて。

いや、単純にもう一度観たいと思ったからかもしれない。

ただ、2回目観にいって感じたことは、1回目とは違った。

そもそも、ものを見る目が格段に良くなった。

細かく観られるし、全体のニュアンスも汲み取れるようになった。なんでそんなことになったのかというと、前回の展示を観た事によって目が良くなったというのと、最近ジグソーパズルを作って一つ一つのピースを凝視したりしていたので、それが良い運動になったのかなと。

それらによって絵の見え方が全体的に変わって、余裕をもってゴッホの絵を見ることができた感じがあった。

今回の2回のゴッホ展を観た感想としては2つ。

自然や太陽がこんなに美しいなら大丈夫

1つ目は、自然がこんなにも美しくて、中でも、太陽がこんなにも綺麗でこんなにも力をくれているのなら、もうジタバタしなくても大丈夫。

無理して何かを目指さなくても良いし、きれいであろうとかかっこよくあろうとか、男らしく女らしくとか、そんなことは別に適当にして大丈夫だと思った。

そういう極地的な素晴らしさは、自然がやってくれているからそれでいい。僕らはそれに感謝して自分っぽく生きていれば良いなと納得してしまった。

絵を見る価値を知れてよかった

2つ目は、これまで絵を見ることに価値を見出しては居なかったけれど、今回のゴッホ展をきっかけに絵や美術品を見る価値を知られてよかったと思ったこと。

それまで絵をみることにそこまでの価値を感じていなかったのは、例えば写実的な絵なんかは、この世界をそのまま観たままに表現する。そして、表現されたそのモノを観る。そこになんの意味があるのかわからなかった。じゃあ、初めから自分の目で観たら良いじゃないかと。けれど、違った。

絵や美術品はその人の目で見える世界の体現。そして、それを僕が観るということは、作者の見た世界を体感するということだ。自然はここまで美しいものだと、世界の見方を教わるということだ。

元に、ゴッホの「種を蒔く人」「夕暮れの刈り込まれた柳」の太陽に、圧倒的な神々しさや力や暖かさを感じてから、日の光にエネルギーを感じるようになった。

ゴッホの絵をみることによって、ゴッホの目を借りることができるようになった。

それは本当に大きな価値だと感じた。

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本当に特別な時間を体験した。

展示会場を何周もして、3時間ずつ、計6時間ほど絵を見た。足腰はバキバキ。喉はカラカラ。お腹はペコペコ。それでも、完全に満たされてもう感謝しかない。

ああありがとう。ゴッホ、ヘレーネ、彼の絵を130年も受け継いできてくれたひとたち。

とっても素敵で、かけがえのない経験ができた。

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