キャンディーさん
近所に、おばあわん(老犬)が暮らしていた。キャンディーさんというらしい。
1年半くらい前のある夜、かつなりさんと喧嘩をした。
ご存知の通り、我が家は六畳一間だ。そこで喧嘩しようものなら、一気に薄く重い空気で満たされる。
打ち上げられた深海魚みたいに苦しくなったわたしは、「ちょっと頭冷やしますんで」と、ひとりで家を出た。
歩いて5分くらいの所に川がある。ひとまずせせらぎでも聴こう、水を見て落ち着こうと、川に向かう途中だった。
玄関先のガレージで並んで座っている、50代くらいの男性と、穏やかなゴールデンレトリーバーの老犬がいた。
それがキャンディーさんだった。
老犬と深海魚
なんとなく立ち止まってしまって、キャンディーさんを見つめていると、わたしの頭のてっぺんから爪先までを包んで逆立っていたとげとげが、シュンとゆるんでいくのを感じた。喧嘩中だって温かい気持ちにもなるんだと、少し安心した。
「この子はにんげんが大好きでね。もうすっかりおばあちゃんなんだけど。さわってもらうのも大好きだから、良かったら撫でてあげてね。」と、お父さん。
であれば、と、少しだけ、手を繋いでもらった。
キャンディーさんは以前、長いことセラピードッグもしていたらしく、ほんとうに穏やかに、やさしく寄り添ってくれた。
やさしすぎて、どうしようもなくなって、キャンディーさんを撫でながら、お父さんや道行く人の目も憚らず、号泣してしまった。
こんなにやさしいキャンディーさんのこと、かつなりさんに教えたいのに、喧嘩してるから教えられない。もう、全然、止まらなかった。まいった。
そんないきなり号泣にんげんに来られても怖いだろうに、お父さんも驚いたり動揺したりすることなく、何も聞かず、キャンディーさんに「よかったねえ。撫でてもらってねえ。」など言って、ただそこに居て、居させてくれた。
帰り道を照らす灯りを点け直してもらったみたいだった。
それから少し遠回りして帰って、喧嘩の続きと仲直りをした。
ハロー、グッバイ、サンキュー。
それ以降、キャンディーさんがあの夜みたいにガレージで座っているところはなかなか見かけなくなった。
かわりに昼間、お父さんとお母さんに付き添われながら車椅子でゆっくりゆっくり散歩するのを、ときどき見かけるようになった。
そしてある日、あのガレージに椅子が置かれていて、上にはキャンディーさんの写真があった。キャンディーさんが天寿を全うしたとの報せと、お花が添えられてた。
14歳だったそう。大型犬のキャンディーさん。人間にして100歳を超える大往生だったんだね。
それからガレージの前を通るたび、お花が増えた。数日後、たくさんの献花への謝辞が添えられた。セラピーを受けたひとや地域のひと、たくさんのひとに愛されて、たくさんのひとが、あの夜みたいなキャンディーさんとの時間に救われたんだろうな。
わたしとキャンディーさんとお父さんとの時間は、ほんの数分だったけれど、わたしはそうゆう夜に生かされている。
キャンディーさん。迷わないで帰れたよ。仲直りもしたよ。今も一緒にいるよ。ありがとう。きっと、またね。
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