結婚式も、指輪も、子どもも、結婚にまつわる一連の諸々を、想像したことはあっても、望んだことがなかった。
それでも結婚した。オットになった彼と、一緒に居たいな、これからも居るだろうなと思ったからだ。それで十分だった。
もしかしたら、結婚すればそのうち自然に、諸々望むようになるもんなのかも、とも思っていた。
新しい名前を貰ったら、自由になった気がした。
“普通” “絶対”という呪い
お揃いの名前で歩いてると、すれ違う人は言う。
「結婚式は?」「写真だけでも」「子どもは?」「家は?」「若いうちに」
彼ら彼女らには紛れもなく事実だったんだろう。地域柄や職場環境、諸々相まって、悪意のない洗脳は日常茶飯事だった。
わたしはわたしで、それに真っ向から反論する確固たる意志も指針も知識も瞬発力も、持っていなかった。
うるせーな関係ねーだろという気持ちが強まるのよりもはやく、彼ら彼女らの“普通”、“絶対”という疑いのない強い声は、呪いみたいに頭の中にこびりついた。
オットだった彼は、結婚式も子どももマイホームも望む人だった。指輪もいつもしていた。
わたしは相変わらずそれらを望めなかった。血縁も、儀式もいいから、暮らしがしたかった。
住まいには少し胸が膨らんだけれど、子どものことに考えを巡らすとそれも萎んでしまった。
それがおそらく揺るがないことに、結婚してずいぶん経ってから気づいてしまった。
彼はそれならそれでもいいじゃんと言ってくれたし、わたしもいいじゃんねえと思っていた、つもりだった。
けれど、多くの無関係な人から“普通”や“リミット”を投げつけられながら、オットだった彼を含む多くの人が望むことを自分だけが望まないまま、結婚という形で生活を続けるのが苦しくなってしまった。
法律婚で抱えるものは、大きくないわたしのキャパシティを超えていた。
それがすべてではないし、彼ら彼女らのせいでは決してないけれど、結果わたしたちは、解散となった。方向性の違いで解散するのはバンドだけじゃなかった。
望まないものを選択しない自由
わたしには法律婚やそれにまつわる諸々がフィットしなくて放棄してしまったけれど、法律婚自体を否定したいわけじゃない。
先日、札幌地裁において下された、“同性婚の禁止は法の下の平等を定めた憲法14条に違反する”という旨の判決。同性婚禁止を巡っては日本初の違憲判決だそう。これが当たり前だよなと思いつつ、いよいよここまで来たなと震えた。すごく嬉しかった。
法律婚や出産を望んでいないと言うと、「結婚したくてもできない人もいる」とか、「子どもを望んでも恵まれない人もいる」とかいう声が上がることはよくある。そんなのはわかっているし、環境が整っているからといって望まない選択をする理由にはならないので、どうか落ち着いて欲しい。
大事にしたいのは、せめて選ぶ余地があることに対しては、望む人が選べて、望まない人は選ばないという自由だ。
誰かと一緒に居たいと思った時に選べるのは法律婚だけじゃないし、結婚をしたいのに制度上できない人がいる状態において、おかしいのは、その構造自体であって、結婚を選ばない人がいることじゃない。
やってみたけれど自分(達)には合わないと思ったら辞めてもいいよ。
出産について同じことを言うのはなかなか難しいけれど、だからこそ産まない選択も尊重したい。
結婚に伴う名義変更も、したい人がして、したくない人はしない、それがいいなと思う。まして性別によって押し付けられるものなんかじゃない。
望むものを獲得する権利もあるけれど、望まないものを選択しない権利もあるはずだ。
結婚も、離婚も、事実婚も、姓も、子どもも、誰にも奪われず、押し付けられず、選んでも、選ばなくてもいい。選び、選ばなかった先の営み方も、自由だ。そしてこれは婚姻に限ったことじゃない。
みみをすます
もしも大きな声にかき消されて、自分や大切な人の声がわからなくなったり、立ち止まってしまった時に、「どう選んでも選ばなくてもいいよ」という声が、小さくても、どうかあなたに届くように。
わたしがバツイチ二人を始めてみたのは、そんなところです。どうぞよろしく。
結婚して、離婚して、東京に来て、自分の声が少しずつ聞こえ始めた。そして、大切な人と、少しずつ、いろんな話をしてみている。わたしが何を考えて、大切な人は何を考えているか。
今日はどうだった?大切にしていることは?信頼できる・できないのはどんな人?好きな食べ物は?好きな映画は?首を時計回りに回すってどうやる?いい時間・よくない時間とは?死んだらどうなると思う?自由とは?
きっと、全部同じなんてないと思う。
違うってことを知る。自由のために、みみをすます。そんな話を、これから少しずつ。
みみをすます
(ひとつのおとに
ひとつのこえに
みみをすますことが
もうひとつのおとに
もうひとつのこえに
みみをふさぐことに
ならないように)
詩:谷川俊太郎
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