【バツイチ二人の百の三】信頼できる人・信頼できない人

みなさんは、芸人・作家として活躍するピース又吉さんのYouTubeチャンネル[渦]を観たことはあるでしょうか?
バツイチ二人はこの[渦]が好きでよく観ているのですが、そのなかでも『百の三』というコーナーが大変お気に入りです。

仕事柄、取材を受ける機会が多い又吉さん。受けた質問に対し、その場で考えて答えているけれど、返せる答えは1個か2個。「本当にこれでいいのか?」「もっと何かあるんじゃないか?」と考えることも多いそう。

もし、もっと考えて答えを出したら、たとえば100個の答えを考えてみたら、そのうち3つくらいは、自分の能力や才能を超えた答えが出るんじゃないか。そんな思いから生まれたのがこの『百の三』という企画です。

100個の答えを出していく中で、ひとつの質問に対する答えという次元を超えて、生きる上で自分が大切にしていること、普段無意識に考えていること、自分の価値観が浮かび上がってきます。バツイチ二人は、そういう、人の価値観に触れる時間が好きです。
また、お互いの価値観について知ることは、二人暮らしをする上で、とても意味のあることだと感じています。

そこで今回は、『百の三』第1回の「信頼できる人・できない人」というお題に、バツイチ二人で答えてみたいと思います!

目次

【バツイチ二人の100の3】信頼できる人・信頼できない人【1~20】

○:信頼できる人 ×:信頼できない人 として、今回は1~20までランダムに挙げていきます!

1○棘のある言葉を言い換えてくれる人[かつなり]

僕は実年齢を伝えるとよく「老けてるね」と言われる。それ自体はもうどうでもいいことなんだけれども、それに対してフォローとして「いや落ち着いてるって事だよね」とか「今老けてるって言われるって事は、本当に老けた時に若く見られるってことだよ」などと、フォローしてくれる人が大体現れてくる。

もちろんその一点で信頼しきれるかどうかということに関しては怪しいが、そういったフォローの声かけができる人は、気が回る人も多く、信頼できる人であることが多いと僕は考えている。

2×「あいつお前の悪口言ってたよ」という人[かつなり]

そもそも謎の密告。「あいつお前の悪口言ってたよ」。みんなはどう受け止めるかわからないけれども、高校生の時に同じ部活の友達だった彼に言われたこの一言に対して、僕はすごく嫌な気持ちになった。

今思い返して見ると「お前に関係ねえ」ってのが率直な意見で、あえてそれを伝えてくる彼自身が僕のことをあまり好きじゃなかったんじゃないかなと思う。 仮に良心から伝えてくれていたのだとしても、その良心のありどころが間違えているので、今後同じようなことが続く可能性が高い。なので基本的には、こういった面倒くさいことを伝えてくる人について僕は信頼できないと感じてしまう。

なお、「自分にとってきつい言葉を良心からかけてくれる人もいる」という考えもあるだろうが、僕はその人に言われるまでもなく自分を責めてしまう傾向にあるので、不要かなと。 だからざっくりと、信頼できないなと、切り捨ててしまうことが多い。

3○ 別れ際の笑顔の継続時間が長い人[あみ]

駅や道端で、見知らぬ人の別れ際に出くわすことがある。

ある美容室の前を通った時。お客さんと一緒に外まで出てきて、「ありがとうございました~!」と弾ける笑顔で見送る美容師さん。そしてその直後、店内に戻るため振り返るその0コンマ数秒の間に、その笑顔は消えていった。見てしまった、と思った。
でもこれは当然といえば当然のことだ。お仕事をしているのだから。

まったく逆の場面にも出会ったことがある。そのひとは、友人か恋人か、何しろ親しそうな人と笑顔で別れ、歩き始めた。少し先にあったビルのディスプレイに目をやって、そこに映った笑顔の自分にハッとしたような顔をして、少し姿勢を正して去っていった。楽しくて嬉しかったんだろうな、と思った。

心理学を勉強していた大学生の頃、“作り笑顔は自然な笑顔にくらべて持続時間が短い”、という論文を読んだ記憶がある。その記憶も相まって、別れ際の笑顔に出会うと、少しだけ注目してしまう。

自分との別れ際の相手の表情はなかなか見る機会がないし、「信頼」というには頼りないくらいの些細なことだけれど、あの時、ハッとするほど無意識に継続していたあの人の笑顔は、限りなく「本当」だったんじゃないかと思う。

4×「私」を会話の中でやったらと使ってくる人[かつなり]

カフェで軽い昼食をとっていたところ、僕と友達の座る席の隣に、四人組のグループが座り食事を始めた。その中の一人の女性が声も大きく発言の内容とは関係ないところでとても耳にさわってしまって、食事に集中できなかったので、友達にお願いしてお店を替えさせてもらったことがある。

その女性の何が気になったかと言うと、他の3人の会話に対して毎回「で、私はね。」とか「私だったらこうするのにな。私は」などと、やたらと「私」単語を入れていたところ。 適度な回数の「私」であれば、意見についての 同意などを強要せず、一個人の意見です。ということを伝える気遣いの言葉になる 。しかし、あまりに多い「私」は、むしろ自分のスタンスを受け入れることを強要しているように思える。

そういった方は、ある意味信頼できるのかもしれないが、 我が強すぎるので、 自分中心で世界を回してしまうことも多く僕は信頼できないと考えている。

5○5円以下の金額でもちゃんと返してくれる人[かつなり]

借りたものを返す。 それって相手との関係性をちゃんと保っておきたい。これからも良い関係でいたいっていうことの現れなんじゃないかなと僕は考えている。もちろん単純に育ちが良くて、そういったことが素直にできる人なのかもしれないが。

ただ、こと5円以下のお金に関しては、僕自身どこか甘えがあって、返し忘れてしまうということが多々あった。今はそれじゃいけないと、たとえ1円であってもお金はすぐに返すようにしている。

それは、僕自身が5円くらいいいよと、お会計の時に友人に渡したお金が、次の日にちゃんと紙で包んで返された事があって、なんてできた人なんだと思うと同時に、僕もちゃんとやんなきゃなと改めた。

たかが5円であるがゆえに、そんな細かいところまで気を使える人は信頼できると僕は考えている。

6×30歳を超えて、親の悪口を言っている人[かつなり]

僕は29歳まで親の悪口を言っていた。 それは色々な要因があって、なかなかここに書くのは勇気がいることなので今はまだ書けないけれど、結局どこか世の中全体に不満があって、それに対して、親を矢面に立たせていたというところがあった。

でも、離婚などのいろんな経験を通して、そもそも何に不満があるのか。不満があったところで解決するような手段を自分が取っているのか。自分自身が問題の解決のために何もしないくせに不満だけを持って、それをさらに関係のない親に擦り付けるなんてのはさすがに20代で終わったほうがいいんじゃないかと考えるようになった。

もちろん年齢はそんなに本質的なことじゃないから、もっと早くそうできればいいと思うんだけれども、自分の周りで30歳を超えて親の悪口を言っている人がいたら、この人はまだ人のせいにして生きてるから信頼に足る人にはならないかなと思ってしまう。

7○小学生の頃から使っているものを今でも愛用している人[かつなり]

大学生の頃に北海道から関西に出てきて、関西からでて東京で就職。その間何度も引っ越しをして、その過程で僕自身が昔から使っていたものはほとんどなくなってしまった。だから憧れみたいなものがあるのかもしれないけれども、僕と同じぐらいの歳の人で、小学生の頃から使っているものを今でも愛用してる人がいると、なぜか信頼できるなと感じてしまう。 

多分、実家にはたくさんそういったものがあるように、長年愛用しているものがある人を見ると、いわゆる「実家のような安心感」を感じてしまうんじゃないかなと。

もしみんなが小学生から使ってるようなものを今でも愛用しているのなら、是非それを恥ずかしがらずに利用していてほしい。僕と同じように安心感を感じる人がいるんじゃないかなと思う。

8×会話の中で人を脅すような発言をする人 [かつなり]

その人自身は気付いていないけれど、会話の中で実は「脅し」を無意識のうちにしてしまっている人がいる。

例えば「勉強しないと、いい会社に行けないよ」とか「そんなに食べたらブクブク太っちゃうよ」なんてのも、いわゆる慣用句に近い表現だけれども、実際は単純に脅して、相手の行動を変えさせようという魂胆が見える。もちろんそれを言ってる本人はそんなこと意識しないで使ってしまっているんだろうけれど、そういったことに気づけない人を信頼してしまうのは少し怖いことだと思う。

特に社会に出て、先輩や上司などの立ち位置の人が周りに多くなると、こういった「実は脅しだよ」というような言葉にさらされる機会も多くなる。だから鈍感になってしまうかもしれないけれども、本当にアドバイスとして言ってくれているのか、そうでないのか?は、この脅しの要素が含まれるかどうかによると思うので、是非注意して見てみて欲しい。

9○3人以上の場面で、席を外して戻った後に、その間の話の流れをさらっと教えてくれる人[あみ]

これは又吉さんの『百の三』でも出てきたことなのだけれど、わたし自身も思い当たることだったので、入れさせてもらう。

数人で食事をしていて、会話の途中でお手洗いに行って、戻ってきて数十秒~数分間、虚無の時間を過ごすことは割とある。個人的には、人数に比例して虚無タイムも長くなるイメージだ。なんとなく会話の内容に見当をつけつつ、おぼろげな相槌をうったりしながらやり過ごすタイム。

そんな虚無タイムを終わらせに来てくれるのが、このひとだ。このひとは、その場をみんなの場にしてくれる。置いてけぼりの寂しさもきっと知っているし、時には強い主張を制して場をまろやかにするような役目も果たしてくれる。

わたし自身のキャパシティが大きくなくて、飲み会だと4人以上くらいから、多…と思ってしまったりするのだけれど、全体に気を配れる、バランスのひとが居てくれる場では、安心できる。

10×「普通」「あたりまえ」という言葉を頻繁に使う人[かつなり]

会話の中で「普通」「あたりまえ」などという言葉を頻繁に使う人は、了見が狭いので、ある一定のことに関しては信頼できる可能性もあるけれども、人として付き合うことを考えると、信頼できない人の部類に入るんだと思う。

面倒くさい話だけれども、「普通」「当たり前」なんて言われると、「何をもって普通と言っているのか」「何をもって当たり前としているのか」を確認しない限り、意味のある会話にはならない。 だからそんな言葉を使ってる時点で、 相手との時間を有益に使おうなんていう配慮がないし、 そんなよくわからない「普通」というもので、マウントをとってくるあたり、仲良くする価値もないんじゃないかなとおもう。 

ちょっときつい言い方になってしまったけど、それほど「普通」とか「あたりまえ」という言葉を頻繁に使う人は有害だと僕は考えているので申し訳ない。

11×「大人なんだから」「女なら」など、属性で役割を強要してくる人[あみ]

こういう枕詞で役割を強要するひとからは、積極的に逃げるようにしている。
そのひとは、相手を形成する一部の「枠」の存在を確認しているだけで、枠の中や、裏側や、材質や、成り立ちや、他の枠の存在に興味を持ってはいないんだろうなと思う。その程度の関心で、自分の認識は揺るがない真実だと信じて疑わず口を挟んでくるひとの言葉はなぜか強くて、呪いになって自分の声をかき消していくこともある。

そういう人には、「あなたの思う『大人』や『女』がそういうものなのはわかりましたが、わたしは今のところこんな感じですし、大人って?女って?って日々揺らぎながら生きておりますので、止めないでください、よろしくお願いします」と言って、投げキッスをキメてお暇させていただく。

12○大きめのものを買った時に、それ用の袋に入れてくれる店員さん[あみ]

春キャベツが大好きだ。お徳用のお肉も買って冷凍しておきたい。魚も自分で捌くことが多い。だけど、キャベツひとたまも、お徳用のお肉も、一尾まるまるの魚も、袋詰スペースに備え付けてあるポリ袋では収まらないことがほとんどだ。そんなにポリ袋を使うほうが、エコの時代としては良くないかもしれないのだけれど。それでも、レジ中にしか置いていない、サイズの十分な、強度のしっかりした袋に、ささっと詰めてからカゴに入れてくれる店員さんに出会うと、ありがたい気持ちになる。お店のことを把握しているという信頼もあるし、店員さん自身の生活での「あったらいいな」を反映してくれているのかもしれない、という、同じ目線への安心もある。

13○貸した物を袋などに入れて返してくれる人[かつなり]

これは「5円以下の金額でもちゃんと返してくれる人」に近いかもしれないけれど、自分が貸した物を返してくれる際に、ちゃんと袋に入れて返してくれる人は信頼できると思う。

借りたものを返す際に、傷つかないように、汚れないように、持ち運びしやすいように、配慮してくれた形が袋などに入れて返すという行為に繋がると思うので、基本的にそこまでの気遣いができる人は信頼できるだろうということだ。

たぶん僕の中で、気遣いができるっていうことが信頼に繋がることなんだと思う。

14×自己紹介で学歴アピールしてくる人[かつなり]

自己紹介っていうのは難しいものだ。言い方次第で、良い印象を抱いたり、悪い印象につながったりする。 その中で、よく覚えている失敗例として、有名大学卒業だということを前面に押し出して、それを自分の強みだと誇示するような自己紹介をした人を見たことがある。

そもそも自己紹介の目的は、自分の所在を明確にして、自分と他人との共通点を見出しやすくするためにする者だと僕は考えている。だから、私はすごい高学歴なんです偉いでしょうというのは、共通点を見出すというよりかははっきりと自分と他人を線引するような行為で、本来の自己紹介の目的を達成できない。

それでも、そういった自信満々な態度を見て寄ってくる人がいて、それで満足なのかもしれないが、そういった肩書きで人付き合いをする人、それを求める人を僕は信頼ができる人と考えていない。

15○「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」がマニュアルっぽくない人[あみ]

お客さんに対して、それらの言葉がもはや反射的に出る。店に響く声全体が同じトーンで統一されている。それもプロだと思う。ただそれはもう記号のようになっていて、人の発声として意識することすらあまりないかもしれない。お互いに流れ作業の一工程として、日常に溶ける。

ただ、同じ場面でも稀に、明らかに人間からの語りかけを受けることがある。そんな「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」は、日頃そういった場面でよく聞くそれらのイントネーションや質感や温度からはかけ離れていて異質なのに、すごく身近で安心する。不特定多数のお客様、ではなく、「今、目の前のあなた」に「わたし」が語りかけていますよ、という感じがする。「ありがとう」を、「ありがとう」として受け取ることが出来る。

本人が意識しているかどうかはわからないけれど、そういう話し方が出来るのは、自分の言葉を自分のものとして、責任を持って発しているひとだからなんじゃないかなと思う。

16×腰にチェーンとか鍵とかをジャラジャラつけてる人[かつなり]

あまり他人の服装にとやかく言うのは良くないかと思うけれど、この「腰にチェーンとか鍵とかをジャラジャラ付けている人」に関しては、信頼できない人として見てしまう。

理由は簡単、うるさいからだ。ただ単に、その人が移動するだけで、ジャラジャラと音がする。こんな都会にクマはでないし、 そんな大量に鍵を持ち歩いてどんな家に住んでいるんだ。 そんなチェーンをつけなければならないほど大切なものであれば、家の中の金庫にしまっておいた方がいいんじゃないか。そんなことを考えてしまう。

これについてはもう、僕の特徴というか趣向というか、どんなに性格が良くても、頭が良くても、無駄に音を鳴らしてうるさい人については信頼関係を築こうとは思えないんだ。 多分頑張っても、信頼はできないかなと思う。申し訳ないけどね。

17○ひっつき虫をつけて歩いている人[かつなり]

全国的にあれのこと「ひっつき虫」というのだろうか?北海道の地元でも、「ひっつき虫」と言ったり、「どろぼう」と言ったりその他にもいくつか呼び名があったと思うが、植物の一種で種子に当たるところが返しのような形の棘で覆われており、子供やなんかが服にたくさんつけているようなそんなイメージのものだ。

新卒採用の面接の時に、隣に座った女性のスカートにそのひっつき虫がついていて、 初対面だったけど指摘して取ってあげたら大変恥ずかしそうにしているのを見ながら、「あーこの人はとてもいい人なんだろうな」と思った記憶がある。

東京にもひっつき虫があるかどうかは分からないが、仮に、同じようにひっつきを虫をつけて歩いてる人がいたら多分その人のことを僕は信頼できると考えてしまうと思う。どうやっても草原を歩いたりしない限りひっつき虫なんかつかないから、きっと平気で原っぱを歩き回れる人なんだろうなと。

18×傘の持ち方が危ない人[かつなり]

雨の日に電車なんか乗ろうとすると、よく見かけるが、なんでそんな持ち方するの?と思うような、周りの人に危ない傘の持ち方をする人をよく見かける。

傘は折りたたんでしまえばただの先の尖った棒である。そんな棒を、地面と平行に持ち、腕の前後運動によって振り回してる人が居る。

最近公園で、木の棒を拾って振って遊んでいた子供が親に「そんな棒を振り回したら危ないからやめなさい!!」と叱られているのを見たが、あの人たちはそういったしつけは受けなかったのだろうか。

また、そういった危ない持ち方をするのが、子供ではなく、スーツを着たおじさんや、いい年のおばさんがやっているということがびっくりするところでもある。そういった人たちはもう、自分の周りの人が自分に合わせてくれるとか勘違いしていると僕は考えている。だから信頼はできない。 

19×電車で目の前の席が空いているのに座りも譲りもしない人[あみ]

電車で席を譲ることは素敵なことだ。席が空いた時、他の誰かが座ってくれたら、と、自分は立ったままでいるというのも、素晴らしいと思う。

さて、満員電車に乗ることはほとんど無くなったけれど、満員電車で、立って乗っていた自分の目の前の席が空いたとしたら、どうするだろうか?もちろん座っても良し、誰かが座れるよう、スペースを空けるでも一声かけるでも良し。
ただこういう時に、空いた席の目の前に立つ人が微動だにせず、ただ空席が出来て、しかし誰もその席には座れず、しかも立っているスペースもギチギチの状態、ということがままあって、今この空間を救えるのはあなただけなんです!!という気持ちになってしまう。そういう時に周りを見渡すことが出来る人でありたいという自戒も込めて。

20○引っ越しの時靴下いっぱい持って手伝いに来てくれる人[あみ]

あれは、札幌の大学を卒業して、地元釧路への引っ越しだった。荷物はまとめて、引っ越し屋さんが引き取りに来てくれて、あとはカラになった部屋の掃除をするというタイミングで、友達が手伝いに来てくれた。彼女は自分の荷物から、靴下をたくさん出した。「引っ越し掃除は靴下必須だから。」と言って。な、なんかかっこいい!!

引っ越し掃除というのは、年末の大掃除の数億倍、謎の汚れが出るし、謎に濡れたりもする。謎の部品や謎の破片も散らばっていたりする。せっかく綺麗になっていく部屋の中を、汚れた靴下を履いたまま歩きまわることのないように。もしくは裸足で作業して、謎の何かで怪我をしたり、皮脂汚れが残ったりしないように。そういった配慮をしてくれたのだった。
あとは単純に雑巾の代わりに使えたり、傷つきをカバーするのに役立ったり、小物をまとめて入れておけたり。とにかく靴下は、引っ越し掃除中いくらあってもありがたい万能ツールだった。

彼女は靴下の他にも、軍手やゴミ袋なんかも複数持参してくれたし、スカートの中に、汚れてもいい、動きやすいパンツを履いて来てくれた。細やかな配慮ができるひとだなということと、彼女自身には関係のない頼み事に全力で対応してくれたことに感動した。頼み事が苦手なわたしには、こういう出来事が本当に嬉しい。

作業のあと、一緒に近所のごはん屋さんに行って、げんこつサイズのメンチカツだったかクリームコロッケだったか、何しろ巨大な揚げ物で乾杯した。その節はありがとう。

やっと20/100…!

今回は二人で1~20まで挙げてみましたが、思った以上に難しい!けれど面白い!
又吉さんは毎回これをひとりでやっているのかと思うと、日頃から本当にいろんな視点でいろんなことを考えている方なんだろうなと、改めて感じました。

21以降も今後更新していく予定なので、お楽しみに!
そして是非、本家・『百の三』をはじめとして、又吉さんのチャンネル[渦]もご覧になってみてください!

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